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2007年7月31日 (火)

日記

役人の対応は傲慢だ。生活保護の相談にいっても、親身にこちらの話を聞いてはくれない。いかに生活保護を阻止するかという姿勢がはっきり伺われる。北九州の困窮者の日記でもわかるように、役人は貧乏人の敵なのだ。二人で20万以上あるからあなた達は生活保護は受けられませんという。末期癌で毎月医療費を払って生活をすれな20万なんてあっと消えてしまう。自民党が大敗するのはわかりきったことである。弱い立場の人間にはあまりにも厳しい政策だらだ。憲法改正を私達は断固拒否していかなければならない。そして原発より自然を利用した発電を作っていかなければならない。小田実さんの意志をついでいくことも同じ期癌者としては受け入れて行きたい。60年安保を生き抜いてきた私にとっても今の政治は受け入れない。

2007年7月30日 (月)

日記

小田実氏亡くなる。こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。末期癌の恐ろしさをしみじみ感じる。安部総理の憲法改正の熱意は異常だ。9条だけは変えてはならない。これは小田実の願いでもあった。この度の参議院選挙は、年金の陰に憲法改正問題は消えてしまった。人間として思想をもてに民族はいつか滅びてしまうだろう。
命の尊さと共に、その人がどう生きているかが生命の尊さと結びつかなくてはいけない。命の尊さは、その人の生き方の中にある。一日一日を大切にしていくしかない。

2007年7月29日 (日)

日記」

病院jは病気を治すところで、患者の精神を癒すところではない。治療を拒否すれば、すぐ退院させられてしまう。外来にいけばあまりにも病気の人たちが多いのに驚かされる。医師もあれだけの人たちを治療するには、時間的にも無理であろう。病院にはホスピスの病棟を持っていないのがほとんどだ。癌で死んでいく人が多いのに、ホスピスの場所が少なすぎる。人間らしく生きて死ぬとは一体どのようなことだろう。人間が人間として関わる場所を持って生きられることが人間らしく生きることではなかろうか。
今日参議院の選挙だ。政治で求められるのは、みんなが安心して生きていける場所を作り上げていくことだと思う。平和な社会を築くには憲法9条を守ることだと思う。

2007年7月28日 (土)

日記

相変わらず下痢が続いている。食事もほとんど取れない。今週は身体の調子が良くなかった。まあ末期癌なのだから、悪い状態でもそれなりに受け入れながら生きているしかない。数人の人が田川紀久雄全集1・2を買い求めてくれた。生活費に助かる。見舞金も底をついてしまった。無収入の私はこれからどうして生きていけばよいのだろう。詩語りの仕事が入るとありがたいのだが。もっともっと語りを極めてゆきたい。語りを通して人の明かりになっていければと思っている。
昨日越後タイムス社の柴野せんから電話で9月16日はなんとかやりたちとの話である。そこで宮沢賢治の「青森挽歌と銀河鉄道の夜」を坂井のぶこと語ってみたい。前半は私の「見果てぬ夢」と坂井のぶこの詩を語る予定である。

2007年7月27日 (金)

日記

柏崎の田川呉服店はつぶれなかったが、田川洋服店は家が破壊状態だという。昨日柴野さんから連絡が入った。9月16日はぜひやりたいとのことだ。
抗癌剤のせいで腹が満腹状態だ。あまり食事もとれない。それに便の調子もおかしい。
宮澤賢治の「小岩井農場」の語りの稽古に入っているが、以前感じなかったものが感じられる。凄い作品だ。あらためて痛感する。末期癌になって、見えなかったものが見えるようになってきた。この見えるものをどうそたら声に出して語れるのだろうか。
昨日「詩と思想」8月号(特集・詩人の肉声)が届く。詩人たちは朗読に苦労していない。言葉でいうのは容易いが、声に出して人を感動させるのはなかなか難しいものだ。いまの詩人たちの朗読は社会的にも通じない。素人集団だ。一時間自作詩を朗読できる詩人は、それほどいない。仲間を集めての朗読会では声は成長しない。人を集めることだけで、中身のない朗読会は朗読そのもの侮辱している。そのことが詩人たちにはわかっていない。ああ悲しいかな。

2007年7月26日 (木)

日記

南原繁著作集の第七巻の序文には「日本が新憲法において、戦争を放棄し、恒久平和を宣言したことは、戦争を起し、そして敗れたわが民族の悲願であると同時に、世界の諸国民のいずれは到達せねばならぬ人類の標的であるのである。」と述べられている。こんどの参議院選挙には憲法改正がある。自民党も民主党もそれを隠している。恒久平和こそ日本がとる道である。
私の末期癌は、自分との闘いである。決して絶望的なことではない。あらゆる努力を積み重ねて生き抜くことだと思う。生命の尊さを訴えながら詩を書き続けてゆきたい。そのことが恒久平和につながることだと思うからだ。頑張るのではなく、自然に生きる。そういう人生をおくりたい。

2007年7月25日 (水)

日記

一日入院無事に終わる。胃カメラの検査を午前中に行う。癌細胞がやや小さくなっている。抗癌剤が効いているようだ。来週CTの検査がある。8月8日にその後の方針を医師と決める予定。抗癌剤でやはり髪の毛が薄くなってきている。なるがままに任せるしかない。病院に入院するとなぜか食事が全部食べられる。点滴のせいなのかもしれない。9月のイベント向けて体力をつけてゆきたい。

2007年7月24日 (火)

日記

末期癌と宣告されてから、初めての詩語りライブを行った。新潟県中越沖地震チャリティライブである。52000円ほど集まった。越後タイムス社の柴野さんに渡してもらうようにビデオカメラマンの高橋章氏に渡す。ご来場された方々に心より感謝。次の巡回朗読会の出番は10月の予定である。9月12日に中野絵手紙の会の出前がある。なかの芸能劇場で行う。宮澤賢治の詩語りを企画でおこなってくれた場所でもある。思い出深い場所だ。
今日また一日入院日だ。点滴づけの日である。

nixtuki

2007年7月23日 (月)

日記

「病院で死ぬということ」(山崎章郎著)の本の中に「末期ガン患者の痛みに無関心であり、その疼痛対策に不十分きわまりないのが実情である。」と書かれている。末期癌は治らない病気である。直らない病気に対しては、医師はそれほど患者に関心がないのも本当のことだろう。抗癌剤の治療を3ヶ月も行っているのに、医師からは何の話がない。まるで医師は私から逃れるようにしているように思われる。私と同じ頃に入院した末期癌の患者をみていると、ほとんどの人は痩せて無気力状態である。医師からの心の明かりが感じられなくなったら、患者は絶望にならざるを得ない。ここ数日胃の調子が悪い。ちょっと不安である。
今日は、癌の宣告を受けてから、初めての詩語りライブである。それも新潟県中越沖地震のチャリティライブだ。「生命の旅」がここから始まるのだ。生きていて辛いもの同士が励みあって生きていくこともそれなりの意味があるだろう。一人でも多くのお客が来ていただけるとうれしいのだが。また巡回朗読会の中でこのようなイベントは意味のあることだと思う。企画していただいた天童大人氏や会場を提供してくれたストライプハウスギャラリー(六本木)に感謝いたします。皆様のご来場をお待ちしています。

天童大人氏のブログには次のような」コメントがある。
23日(月曜日)の第93回「ポエトリーヴォイスサーキット(巡回朗読会)」は胃の末期がんに侵され、闘病中の詩人 田川紀久雄さんがパートナーの坂井のぶこさんと共に、六本木で渾身の力を注いで、自作詩朗読会を行う!!!

2007年7月22日 (日)

日記

昨日から胃の調子が悪い。また激しい下痢に襲われる。明日のライブまでには下痢がなおればよいのだが。今年は梅雨が長すぎる。日差しもほとんどない7月である。お米は大丈夫なのだろうか。洪水、地震と次々に起こる。農家の人たちは大変だ。中越沖地震でも農家の器具が壊れて、もう農家もやっていけない人たちがいる。国は、このような農家に支援すべきだ。しかし日本政府は小さな農家には支援をしない。ますます田畑が荒れていくばかりだ。銚子に旅をしたときも田畑が荒れてゆくのが目立った。森も削られ自然がどんどん壊れていく。小さな農家を守ることが森を守ることにもなる。
川崎の臨海地帯に森を作る運動をしたいものだ。公園の樹も切られてしまっている。トンボもバッタも見られない。小さな生き物がどんどん姿を消してゆく。今年はまだ蝉に鳴き声を聞いていない。環境の大切さをいいながら、役人たちは、どんどん自然を破壊していく。私も収入がないのに生活保護が受けられない。役人は出来る限り生活保護を認めないようにしている。このような環境では、私の下痢もなかなかなおらないだろう。

2007年7月21日 (土)

日記

日本の原発に対して国の責任は重いはずだ。電力会社にまかせぱなしの安全対策は、いかに貧弱なものであったか。たった一度の原発漏れで、計り知れない危険にさらされる。それなのに利益追求のみの営利目的の原発は、今の日本には必要がない。
お年寄りの救済に遅れをとっている。施設にはいりたくても入れない。切捨ての老人対策がこの地震でも如実に現れている。これで何が美しい日本を作るなどといえるのだろうか。自民党の崩壊が始まりかけている。
柏崎商店街は、立ち直りできない状態だ。祭りも中止になった。みんなで助け合っていかねばならない。
7月23日の中越沖地震救済詩語りライブを行う。一人でも多くの人が集まってくれれば有難い。お問い合わせはストライプハウスギャラリー 電話03-3405-8108 7時開場 予約2500円 当日2800円。

2007年7月20日 (金)

日記

抗癌剤の副作用で昨日は身体がだるかった。ある意味では無気力状態に陥った。このようなことは初めてだ。ライブが近づいているのに不安を感じてしまった。身体がいま一つ思うようにならない。このような時は無理をしないでじっとしているしかない。病気を抱えて地震にあった柏崎の人いたちは大変な思いをしているだろう。とくにお年寄りの人たちが心配だ。仮設住宅も8月にならなければ始まらないという。対応がいまひとつ遅れてはいまいか。
詩誌・操車場の原稿締め切りも迫っている。8月1日まで原稿が届くように。参加したい方は、私のところまで連絡してください。

2007年7月19日 (木)

日記

中越沖地震で柏崎市は大きな打撃をうけた。その中でも原子力発電所は、想定外のことだと東京電力側は言う。いかに杜撰な設計で発電所を作っていたのかと驚くばかりだ。原子力発電所は、日本にはむか建物なのだ。それより自然を利用した発電に変えていくひつようがある。このまえ銚子に旅をしたとき風力発電をみた。壮観な風景であった。
地震でいちばん被害にあうのは高齢者だ。年金生活では家も建て替えられない。国は赤字財政を理由に弱い立場の人たちを切り捨てにかかっていおる。つまり福祉の切捨てだ。これで美しい国つくりだという安部内閣の欺瞞が暴かれたといえる。国の赤字をうみだしたのは国民ではなく、政治家たちであった。そのことを忘れて国民に押し付ける姿勢には我慢がならない。そして税金の比率もあげる。なぜ福祉税にしないのか。それは軍事費の回すからだ。アメリカのいいなりの政策をいつまで続けるきなのだろう。アメリカの広島長崎の原爆投下の言い方は許せない。なぜ日本政府は原爆の損害賠償を求めていかないのだろう。原爆の使用は戦争の範疇を超えたものなのだ。絶対どんな理由があろうと使用してはならないものである。アメリカの自由と正義は、もう誰も信じていない。イラク戦争にたいしても何の反省もない。アメリカかで好きなのはブルースだけだ。

2007年7月18日 (水)

日記

退院する。医者と話していて、末期癌の定義をきいたら、そのようなものはないという。つまり医療も人間の感で決めているのだと思う。そのために現代治療ではない人間としての闘いの行き場が存在してくるのだと思う。末期癌だからといってあきらめてはならない。人間として闘う場がある以上、生き抜く可能もあるということである。あれこれと質問するほど医者はあわてていくだけだ。詩人のパワーは医者には負けない。これからどう生き抜いていくかが楽しみだ。
操車場3号の原稿が3人集まった。倉田良成さから、「見果てぬ夢」の書評を書いていただいた。感謝。3号ができるのが今から楽しみである。

2007年7月17日 (火)

日記

7月23日詩語りライブは新潟県中越沖地震救済チャリティコンサートとします。

新潟県中越沖地震が昨日あった。柏崎が最大の被害を被った。私の生まれたところだ。7月23日の詩語りライブは、中越沖地震救済チャリティライブにいたします。入場料(私の貰い分)は柏崎にカンパをいたします。
詩の語りを通じてこうした動きをするのは二度目だ。詩明かりを求めて生きていきたい。私が末期癌と宣告を受けたとき、詩人や友人から見舞金をいただいた。そのお陰で医療費に使わせてもらっている。多くの人明かりのお陰でいま治療を受けられている。収入のない私は生活が苦しい。しかし私ごとばかりを言っていられない。どうせ短い命なのだから、人々の役にたつ生き方をしたいものだ。詩人の生き方ではそれほど人様に役立つことは出来ないが、しないよりした方が良い。

中越沖地震救済チャリティライブに一人でも多くの人が集まってくれればありがたい。東京の詩人たちよ重い腰を持ち上げてもらいたいものだ。私は全身全霊で語りをおこなう。

2007年7月16日 (月)

日記

7月23日の詩語りライブにNHKのカメラマンの高橋さんがビデオを撮ってくれるとのこと。有難い話である。高橋さんは柏崎の出身である。いま故郷の人々が私を応援してくれる。これもみんな鈴木良一さんや越後タイムス社の柴野さんのお陰である。それに対して東京の詩人たちは冷たい。いまは良い語りをするために日々の努力意外にない。生きていられることの有難さをいろんな人たちに伝えていきたい。いま生きていることがいちばん大切なことである。若いひとたちが命を粗末にしているのを見ていると悲しみがわいてくる。みんなで今を生きる運動をしてゆきたいものだ。末期癌はいつ他の場所に転移するかわからない状況でいる。他に転移してゆけばそれだけい早く命を失うことになる。
天童大人に電話をいれる。23日はそれなりの語りを行うことを報告する。ギャラリーにも予約が入っているとのこと。有難い。生きている勇気が湧いてくる。天童さんのプログをみたら、さっそく私のことが書かれてあった。天童さんありがとう。生命の語り・くずれ三味線を全身全霊で弾きます。生きていられることに感謝をしていのちの声を叫んでゆきます。巡回朗読会ももいすぐ100回になる。朗読を無視してきた詩人たちも、100回を超えればもう無視してはいられないだろう。詩人の声とはないか、実際に来て聴いてみることだ。一度も聴きにこない詩人が朗読はつまらないと言っているにすぎない。

2007年7月15日 (日)

日記

ちょっと食べ過ぎると下痢をする。末期癌にはどうしょうもならない。胃薬を飲んで直るものでもない。癌に身を任せて生きるしかない。ライブもあと一週間後だ。声の内面を語りたいのだが、まだ思うようなところまで行き着かないでいる。活字を読み上げるのではなく、言葉の命を声の中に封じ込めることだ。詩人の語りはそうでなくてはいけない。それが出来る詩人があまりにも少ない。
詩誌「阿字」121号に私の詩作品が載っている。評判がよいとのことだ。そして、詩誌「操車場」も思ったより反響が大きい。詩人との交流もあまりしていない。人明かり、詩明かりをもとめている。詩人より一人の人間が詩に興味を持って読んでもらいたい。越後タイムスに私の記事が乗っている。平成19年7月6日号、「週末点描」に。私はいま人の温かい心に支えられて生きている。

2007年7月14日 (土)

日記

末期癌について調べていくと、ろくなことが書かれていない。まず助からないということが解るだけだ。5年持てばよいほうなのだろう。なにしろ末期がんは医学的にも手が付けられない状態なのだ。だから末期癌になったら何も考えないことだ。そして自分の行いたいことを一日一日大切にして生きる以外にはない。まず絶望したら駄目だということだ。自分に負けることが、末期癌にも負けることになる。今日一日を楽しく生きることである。嫌なことは考えない。あったとしても忘れて過ごすことだ。
大型の台風が来ている。参議院選挙も近い。憲法9条がほとんど語られていない。この前の衆議院選挙のときも、郵政一点張りで、障害者自立法案が何の反対も出来ず国会を通過してしまった。悪い法案が次から次えと決まってゆく。国民を無視した政策が続けられている。難病の問題も、国が一人ひとりの患者を救わなければならないのに、金のかかる問題は見て見ぬ振りをする。癌だって金持ちは保険のきかいない薬を手に入れられるが、貧乏人は助かる命も助からない状態のまま放置されている。なにが美しい日本なのかさっぱり理解できない。人明かりが大切なのように国明かりも大切なのである。それを忘れて政治に参加する人間は非国民だ。
末期癌患者には何も怖いものがない。言いたいことは言っていくべきだ。

2007年7月13日 (金)

日記

詩誌・操車場100部作る。書き手とカンパを頂いた方々に送る。この詩誌が、私の生活の収入のすべてである。これでは治療費にもならないが、ないよりましである。年金もない。生活保護も受けられない。やはり詩人として生きていくしかない。詩語りの場を増やしていきたい。詩集を売って、次の「生命の旅」(上・中・下)の上を上梓したい。100ページほどの作品が出来上がっている。秋あたりには出版したいものだ。

2007年7月12日 (木)

日記

きょうは 操車場の製本に取り掛かれそうだ。月刊詩誌は、私にとって一日一日を真剣に生きていくようにいっかげつの詩誌は私にとって一日を意味するものである。会員に方は書くのに大変なのかもしれないが、詩というものは常に書く姿勢がないと良いものは生まれてはこない。いい加減に生きている人は、それなりの詩しか書けないものだ。
今週は天気が悪いが、なんとしても語りの稽古を積み重ねてゆきたい。今まで行ってきた世界を磨きあげてゆきたい。そのためには体力が必要なのだが、これだけは今はどうにもならない。その代わり今までない世界を語れるかもしれない。7月23日が楽しみだ。あいかわらず欠席の葉書がくる。詩人の声に興味のない詩人には、私もそれなりに付き合っていくしかない。活字の世界だけが、詩の世界ではない。詩は、もっと自由なものである。人に語りかけることを忘れた詩は、誰も読まない。誰も読まない詩を書いていて満足なのだろうか。詩人でない人からこの度の詩集「見果てぬ夢」の反響が大きかった。それもみんな買っていただいた。詩人に送ったものは、ほとんど反響がない。空しさだけが残った。

2007年7月11日 (水)

日記

一日入院してきた。治療代38000円は生活無能力者にとっては辛いはなしだ。仕事をしていない現在無収入なのだ。入院中に詩が一篇書けた。朝4時に起きて散歩する。20分だがそれなりに体力をつけてライブに望みたい。操車場のい会員が増えてくれれば有難いのだが。校正の原稿がまだ揃わない。印刷したいたおいのだがまだできない。昨日には校正のゲラが戻ってくるかとおもっていたが、残念。末期癌患者は気が短くなっている。
新潟県柏崎市での決まる。
午後5時30分 開演6時
会場游文舎
料金2000円
後援 越後タイムス・新潟詩人会

2007年7月 9日 (月)

日記

平塚の七夕を見に昨日でかけた。露天商の数が多すぎてうんざり。香具師たちの稼ぎ場なのかもしれないが、あれでは七夕の雰囲気を壊してしまう。ただ食べ物の露天でなく、骨董や衣類やその他の露天商があったらそれなりの楽しみもあっただろうに。
昼からは平塚海岸にでて、海を見てすごした。帰りには茅ヶ崎により、成城石井の店による。自然食の見て楽しい店である。途中で胃が痛んだが、なんとか持ち直して帰宅についた。

2007年7月 8日 (日)

日記

詩誌・操車場の原稿が集まった。みんな優れた作品が揃った。末期癌である私が、書き手に緊張感を与えているのだろう。今の詩誌は、詩人向けの詩誌がほとんどだ。生きている人間にむけて声を発信しているのだろうか。現代詩は、詩のための詩を目的にしてきたが、だれもが読まない詩誌を作り上げてきた。朗読しても、生命の叫びが聞こえてこない。詩人にとって大切な魂の叫びは何処へ行ってしまったのだろう。詩人はいつのまにか権威的になってしまった。名のある詩人には媚をうる。詩人たちよ、もっと裸な人生をみつめようではないか。詩人馬鹿がいなくなった。詩のエリート集団が詩誌を悪くしている。現代詩手帖がその見本だ。
7月10日に一日入院がある。そのあとにコーピー印刷を行い、製本に取り掛かる。15日頃には出来上がる予定である。次号の〆切りは8月1日です。参加したい方は会員になってください。会員以外の方の作品は載せない場合もあります。現在無職な私は医療代で困っています。

2007年7月 7日 (土)

日記

末期癌で恐ろしいのは、浸潤がいつ他の場所に移って癌細胞が転移するかということだ。手術が出来ない末期癌はつねに死の恐怖にさらされている。末期癌になっては手遅れだという意識が医師にしても、患者にしてもある。だからといって末期癌が駄目だというのではない。生きる希望とその精神力を高めることによって、その人の寿命をのばすことも可能だ。
7月23日には体力の限界に向けて詩語りを行いたい。天童大人の企画を裏切らない語りを行うだけだ。その力を助けてくれるのが観客である。一人でも多くのご来場をお願いしたい。

2007年7月 6日 (金)

日記

末期癌になった人の本はほとんどない。癌の予防とか、手術後のあり方などの本は沢山ある。それにいんちきな薬に関する本もある。末期癌になって手術もできない人間には何のやくにたたない。末期癌になったら、今を生きることに真剣になることである。自分のしたいことだけを目指して生きるしかない。今を生きるということは、過去も未来もいつも今である。つまり永遠の中で生き続けている。そういう自覚が今を生かしてくれる。そしてなるべく自分が末期癌であことを忘れることである。
やっと詩語りの稽古が出来るようになってきた。いま語りを人前で出来ることだけを考えて行動をしている。それにしても7月23日に出版ライブの案内状の返事では欠席が多い。人のあったかいに思いやりが癌患者には生きる道を開いてくれるのだが、人はそれぞれの生き方があるから、無理に聴きにきてくださいともいえない。今は、来ていただける人に聴いてもらえる語りを行うことだけに心がけている。

2007年7月 5日 (木)

日記

昨日の朝日新聞夕刊に自費出版業者の記事が載っている。「私の本 店にない」提訴。
詐欺まがい。ひたすらおだてて本をつくらせる。わたしの知り合いにもこれに引っかかって泣いた詩人がいる。自分の売れると思い込みたくなる気持ちはわかるが、詩集などはそんなに甘い世界ではない。まず売れないものだという認識をもつことだ。100万円も払ったのに、手元には本がない。こんないんちきな商売にひっかかるのが詩人なのかもしれない。漉林書房でつくれば30万円台でできたものを、100万円注ぎ込んで本も売れず、人にも配れずにいる。
9月の詩語りライブは「越後タイムズ」の柴野さんが後援してくれる。有難い。

2007年7月 4日 (水)

日記

朗読でもとも大切なのは、声の力である。しかし聞き手は、詩の意味を求める。声の力に耳を傾けようとしない。意味が解らないと、つまらない朗読だと断言する。詩の朗読は独自の世界である。小説やエッセイの朗読とは異なる。じゃ詩を読んで読者は理解しているのかというと、そうでもないはずだ。詩を読んでも何が書かれているのか解らないという読者が多い。詩というものは心で読んで、心で聴くものである。私の語り方を全否定する人にあった。心で聴く力を持たない人間には私の語りを理解することはないだろう。山本陽子の詩でもそうである。解らないからそれは駄目なのだという論理にはとてもついていけない。

2007年7月 3日 (火)

日記

下痢が三日も続いている。それほど食べていないのに不思議だ。7月8月9月と語りの仕事が入っている。なんとかして体調を整えなければと思いながら、思うように行かないでいる。これも癌のせいなのかもしれない。クーラーが入ったので夜は快適である。湿度の調整ができるので有難い。
操車場の原稿もあと一人だけである。10日過ぎたらコーピー印刷にかかりたい。3号の〆切りは8月1日までである。会員の方々にはなるべく早めに原稿を入れてもらいたい。

2007年7月 2日 (月)

日記

犬吠崎に行く。無限に広がる海をみていると心が癒される。自然との対話をしたい。都会生活ではそれができない。銚子まい行く途中、広がる田んぼを見ていると日本の風景の美しさを感じる。そして鷺が田んぼに飛んでいる風景も美しかった。

2007年7月 1日 (日)

日記

「詩と思想」8月号の校正ゲラが送られてくる。
医師と患者の会話があまりにも少なすぎる。医師が多くの患者を抱えすぎてゆとりがないのだろう。それと病院によって医療の質があまりにも違いすぎる。すぐれた医師が少ない。優れた医師はカネで引き抜かれていく。癌治療にとって、病院の質の格差があまりにもありすぎる。国はもっと医療に対してカネを使うべきだ。人は国の宝である。その生命がおろそかにされていては福祉国家とは呼べない。貧しい日本の国になっている。国の赤字は、いままでの政治家が勝手なことをやってきたおかげだ。原子力の問題にしても無駄な税金を注ぎ込みすぎる。もっと安全なエネルギーの道があったはず。これからの日本は自然を取り戻す道を見つけることだと思う。

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