日記
9月16日に柏崎(新潟県)で詩語りができる。父の実家があるところだ。つねに前向きに生きていれば、癌であることなどそれほど気にならない。心を込めて語ることが魂の叫びに通じる。でもいくら頭で考えていても、実際は人に聴かせることは難しい。それには努力意外にない。身体が許す限り語りの稽古に励むことだ。昨日も下痢が止まらず、体重も3キロも痩せてしまった。
詩集「見果てぬ夢」好評発売中。田川紀久雄の最高作である。小部数なのでお買い求めはお早めに。謹呈はいたしておりません。
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9月16日に柏崎(新潟県)で詩語りができる。父の実家があるところだ。つねに前向きに生きていれば、癌であることなどそれほど気にならない。心を込めて語ることが魂の叫びに通じる。でもいくら頭で考えていても、実際は人に聴かせることは難しい。それには努力意外にない。身体が許す限り語りの稽古に励むことだ。昨日も下痢が止まらず、体重も3キロも痩せてしまった。
詩集「見果てぬ夢」好評発売中。田川紀久雄の最高作である。小部数なのでお買い求めはお早めに。謹呈はいたしておりません。
食事がほとんど食べられなかった。胸がむかついて気分がすぐれない。
魂の声を出すにはどうしたらよいのだろう。語りの稽古に入る。胃の痛みがないので一時間ほど語ることができた。詩人たちの多くは朗読を嫌っている。それは彼らは、詩がほんらい魂の叫びであることを理解していないからである。また朗読を行っている詩人たちもそのことが解っていない。詩人たちはいつになったら本当の声を持つことができるのだろうか。
昨夜は激しい下痢に襲われた。癌に効くといわれる食べものをいろいろと試みているためかもしれない。癌の予防とか、手術後の生き方についての本はいろいろあるが、末期癌そのものの本がほとんどない。末期癌にならないための本を読んでもどうにもならい。末期癌になったらどう生きるかが必要である。癌は個々によって表情も異なるものかもしれない。医師に私の状態を聞いても何も答えてはくれない。そのことよいのか悪いのかはわからない。あまりよくないから説明をしないのかもしれない。それなら何も知らないでいる方が生きやすい。自分のしたいことだけを行えばよいのだ。末期癌と闘っているのではなく、人生そのものと闘っていきているのだ。そう思うことによって強く生きていられる。身体の抵抗力をつけるのも、生きる自身を持つことだと思う。7月23日のライブに向けて声を鍛えていかねばならない。薬でやや舌が廻らないことがある。それに声の力もたいぶ落ちている。でも人に聞いてもらえる語りを目指して生きることが今の私がやらねばならないことだ。貧血ぎみで長い時間は出来ないが少しづつ努力を積み重ねていく意外にはない。生きていることはそれなりに面白いものだ。
午前11時に帰宅する。この次の一日入院は7月10日である。
9月に行うなかの芸能劇場での公演のプランができる。「生命の旅」というタイトル。村上昭夫詩集や金子みすゞ詩集・宮澤賢治の作品を混ぜながら自作詩を織り込んで語ってゆく。昨夜このプランの構想が思い浮かんだのだ。海埜今日子さんが「詩と思想」の9月号に詩誌評に「操車場」を取り上げてくれるとのこと有難い。8月号は坂井のぶこの語りについてのエッセイや、対談・白石かずこ・小川英晴・天童大人・それに田川紀久雄掲載。司会が長谷川忍氏である。長谷川忍さんは操車場の会員でもある。次号の操車場がいまから楽しみだ。
今日一日入院。抗癌剤の治療で胃の痛みが抑えられているのかどうか解らないが、今週は痛みはほとんどなかった。食事が思うようにとれないだけだ。詩集を川崎詩人会の人たちに数冊買っていただいた。有難い。100冊を売らないと印刷費がでない。詩集で100冊を売るのは大変なことだ。病院代も捻出しなければ生きていけない今の状況である。何としてでも一冊でも多く売っていくしかない。詩人として生きている今の私は、詩語りで収入をえるか、詩集を売って収入をえるしかない。韓国では詩集が売れると聴くが、日本では、詩集は謹呈するものと思っている。それだけ、詩は、人々から相手にされていないのだ。これは詩人の問題である。人々に共感を与えられる詩集があまりにも少なすぎる。詩の言葉に魂が入っていないのが多すぎるのだ。朗読にしてもしかりである。ただ声を出して読めば朗読と思い込んでいる。なさけない話だ。声を鍛えなければ、人の心には届かない。もっともっと詩人は自分の魂と闘うことだ。
部屋にクーラーをとりつけた。これで暑い夏も快適に過ごされそうだ。
それに詩集「見果てぬ夢」も出来上がってきた。医療費を稼ぐために、この度は謹呈にしないことにした。これを売ってなんとか医療費を捻出しなければならない。今の私は無収入の身の上である。生活保護を受けられい以上、気ままに生きるしかない。詩人たちから田川はケチダといわれてもかまわない。なにしろ生きて生きて生きている間は、詩を書き続けたい。「未来への旅」の三部作を完成したいのだ。生活保護を受けてしまえば、詩集など上梓できなくなる。そして詩誌「操車場」でもいくらかの収入を得ない以上、これも発行が出来なくなる。厳しい状況なのである。
この「見果てぬ夢」はとても良い詩集だ。自分で言うのも変な話だが・・・。もう詩人たちのために詩を書く必要もない。本当に生きたいと思う人々のために私は詩を書き続けていたい。そしてそれを語って生きたい。詩は、詩人のためにあるのではなく、詩を求めている人たちの為にある。この詩集は部数が少ないので、お早めに買ってください。
お申し込みは、川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F 漉林書房まで。頒価2200円。
末期癌と診断されてから今日で二ヶ月になる。こうして生きていることが不思議でならない。この二ヶ月間の間に、詩誌と詩集を作り上げた。7月からは詩語りが始める。本当に身体が大丈夫なのだろうかと思う。胃癌のために、腹に力が入らない。声も以前の半分しかでない。でも心の奥から語れる仕方を作り上げたいと思っている。それにはやはり稽古を積み上げるしかない。気持ちだけでは詩語りはどうにもならない。芸というものはそんなに甘くはない。自分の行いたいことをするのが癌に抵抗力をつける秘訣だと思う。ミニライブが出来る場所があったら紹介してください。
次の詩誌の原稿もほとんど集まった。次号が楽しみだ。詩誌・操車場に参加なさりたい方は、会員になってください。
それから、詩集出版記念ライブの予約受付をけています。人数に制限がありますので予約はお早めにお願いいたします。場所はストライプハウスギャラリー。7月23日(月)・7時30分からです。
詩誌・操車場を30部増刷する。合計130部になる。手作り詩誌は、気軽に増刷できるから作る方からすれば楽しい。
抗癌剤が効いているのか、このところ胃の痛みは少なくなってきた。その変わり、食事が思うようにとれない。胃に食べ物が入らないのだ。身体を維持するために豆乳や野菜ジュースなどを飲んでいる。胃の痛みがなくなったお陰で詩語りの稽古ができそうだ。そろそろ来週あたりから始めなければと思っている。今月あと一回の抗癌剤の治療がある。7月は抗癌剤の治療がない。
9月に生まれた柏崎で詩語りライブができそうだ。そのためにも、生きる気力を高めていかなけてはならない。その前に7月23日のライブがある。一日一日を大切にして生きていればそれでよい。先のことはあまり考えないことだ。出来ることを一つ一つ確実に行っていくことだ。
癌で苦しんでいる方、家族の方が癌になって生と闘っている方々を大勢いる。癌で苦しんでいるのは、私だけではなく、この癌と闘っている人たちと共に私は生かされている。知り合いの人が、癌にかかって何十年生きた。そんなことなど意味もないことばである。癌患者は、いま生きていられることが大切なのである。未来の話をしても虚しいものだ。癌との闘いは、家族の大きな後押しがなくてはならない。その苦労は並大抵ものではない。詩人は、この重さに耐える言葉を生み出せるのだろうか。詩人どうしのつまらない詩論などに振り回されている無意味さをこのところ痛感にする。癌がわたしを生かしてくれている。真の言葉を捜す旅に出ることができたのだ。癌に感謝をして生きよう。
昨日、退院する。一日入院。痛め止めの注射をうつが効かず、二度目の注射でやっと効く。痛みが治まると、癌であることが嘘のように思えてくる。不思議な気持ちになる。抗癌剤の治療のとき、眠気が起こり幻覚表情にかられた。まるで死後の世界をさまよっているかのようだった。お昼ごろ帰宅。手紙の整理やないかで時間をつぶした。そのためにブログができなかった。夕方古本屋にいって癌に関する本を買ってくる。話は古いが、癌と闘う人間の生き方に学ぶべきものがあると思う。最近の癌治療は発達している。どこまで発達しているのか私にはわからないが、最後はその人の生命力の問題だと思う。
詩誌・操車場を私と共に行いたい人を募集しています。いい詩誌を作りたい。人に感動を与える詩誌を作りたい。
漉林ミニ通信5号・6号ができました。読みたい方は80円切って二枚をいれて注文してください。
今日一日入院です。胃の痛みは相変わらず続く。
詩誌・「操車場」好評。粒ぞろいの作品が集まっているとの評判。質のいい詩誌つくりを目指して行きたい。参加者は、真剣勝負の作品をお願いしたい。それから癌にかかっている詩人たちとの交流を広げたいと思っている。死と向き合った者こそが描ける世界を求めて。現代詩のつまらなさは消費文化の中で行われているからだ。だからくだらない知名度を求めたり、知名度のある詩誌に参加したがる。つまり主体性のない詩人が多すぎる。地方都市で詩人を呼んで赤字にならないのは谷川俊太郎だけしかいないと聞く。これもなさけない話だ。
昨日座間谷戸山公園に行く。自然の中で身体を癒すことは大切なことである。ここでオニヤンマを見た。何年ぶりのことだろう。自然を守ることの難しさを感じる。ビオトーフの実修も行われている場所でもある。星の谷観音堂跡は、気のやすまる不思議な空間であった。お弁当を持っていったがほとんど食べられなかった。3時間ほど散歩をして帰宅する。この次は、本当の自然の中を歩いてみたい。
久しぶりに三味線を弾いてみた。もう何ヶ月も弾いていなかった。7月のライブには、三味線で弾き語りをおこないたい。あくまでも身体の調子がよければの話だ。坂井のぶこと私とで「見果てぬ夢」を語りたい。生まれてはじめての出版記念ライブだ。お客が来てくれるだろうか。
詩誌・操車場は、書き手と見舞金を頂いた方々にお送りした。それにいくつかの詩誌にも送った。100冊近く送る。まだどこからも反応が来ないが、もし出来たら感想を聞かせてもらいたい。癌患者にとって、少しでも生きていく上に励みにでもなれば、精神的にも強く生きられる。癌とともに生きることは、苦しいけれども、また楽しいものだ。楽しみを夢に見て生きていられる間は死について考えなくてすむからだ。
6月13日の新聞に癌の広告が載っていた。それも見開き全ページにだ。「癌に教えられる」広告主は宝島社である。
笑が癌細胞を減らす という説がある
癌は不思議だ
末期癌を宣告されて 十年以上生きつづけた人がいる
癌は怖いけれどひしぎだ
という文章が載っている。
癌は、現代医学と、自然療法とあとは自分の生命力がいったいとなって闘わなければ、癌を克服できない。
昨日痛みが激しかったので痛め止めの薬を飲んだが、まったく効果が無かった。少し怖くなってきた。ほとんど眠れない日々が続いている。末期癌者がどう生きてきたか知りたいものだ。いま私はこんにゃくを温めて胃を温めている。他に痛みを緩和する治療があったら、教えてもらいたい。できるだけお金のかからない方法で。癌の治療はいろいろとお金がかかる。自然食品にしてもしかりである。癌はカネを食う虫であるといいたい。いま私の心を支えてくれるのは、詩誌・操車場の発行である。一人でも多くの方が会員になっていただけることが私の生きる励みにもなる。
末期癌で、困るのは浸潤が出来ることである。胃カメラで見てもはっきりみえた。傷ができてそこが赤く腫れているのだ。痛みはそこから来るのであろう。そしてそこから他に転移するともありえる。末期癌は大変なやっかいものである。そしてその浸潤が栄養分を横取りにする。つまり痩せる原因を生んでいる場所である。だからやたらに痛め止めの座薬は使えない。退院した翌日から痛みは始まる。病院で傷め止めの点滴をするしかない。
田川紀久雄の手作りの美しい詩誌・操車場が創刊されました。
一部500円です。参加者は、倉田良成・坂井信夫・池山吉彬・坂井のぶこ・高橋馨・野間明子・保坂成夫・田川紀久雄です。付録に・漉林ミニ通信がついています。
発行部数100部のみの限定です。
会員募集中。会員のみが参加できます。作品を載せたい方は、ぜひ会員なってください。
昨日3時に退院。胃カメラを急遽おこなったので帰宅が遅くなった。癌が他に転移していなかった。座薬は悪し。使いすぎるとその薬が身体になじみかえって痛みをます結果にもなるということ。なぜ医師は早くそのことを教えてくれなかったのか。やはり痛み止めは身体に副作用を及ぼす。ではどうすればよいのか。痛みは我慢ができない。癌と闘うことの苦しさがある。いまこうしてパソコンに向かっていても胃が痛む。昨日操車場の仕事に精をだしたせいかもしれない。でも操車場は完成したのだ。すべて一人作業であった。次号の〆切りは7月10日までとします。会員の方は原稿をお送りください。参加資格は会員のみです。会員募中。 田川紀久雄
座薬は、痛みに効くがやはり問題がある。人のよってことなるのかもしれない。
知人から紹介された痛みの緩和療法を紹介する。これは民間療法なのだと思う。こんにゃくを温めて痛みの箇所に当てるだけでよいというもの。こんにゃくは思ってより温めの時間が持つということ。それに柔らかいために気持ちもよい。癌は熱に弱い。この方法はすぐには効果がないかが、のんびりと時間をかけて行えば、癌にも効くと思える。東条百合子の自然食療法があるというが、私は彼女の本を読んでいないので、いまのところなんともいえない。
今日は一日入院である。抗癌剤の治療日。明日退院の予定。帰宅したら赤字の校正ゲラが戻ってきているはず。すぐにコピー印刷に取りかかれると思う。来週の初めには操車場の発行ができそうだ。送るさきは、書い手と、カンパを頂いた方。それに30冊ほどは同人詩誌関係に。
これを打ちながらも痛みはある。癌が治らない以上は、痛みから逃れられない。 田川紀久雄
座薬がなくなったので、昨日(日曜日)病院まで貰いに行く。若い医師しかいない。なんとなく心もとのない態様である。一度座薬を使い始めると。だんだん使用時間が短くなる。最初は一日に一回だったのが、次には12時間おきになり、その次は7時間おきになってゆく。痛みはキリで胸を突き刺されるような感じなのでどうしても座薬を使えざるをえない。
癌との恐怖の闘いが始まったのかと実感しないではいられなくなってきた。
宮脇昭氏のホームページを開いてみる。日本でいちばん木を植えてきた人物。企業は金儲けだけするのかと思ったら、このような企業のあり方があったのだ。
ただ単に金儲けする折口氏(コムスン)とはまったく企業そのもののあり方が違う。
自然と共生を求めている企業が少しづつ増えている。確かに未来は絶望的だが、ここで人間としてあきらめたらほんとに人間失格になってしまう。自然と共生を求めようとしている人がいる限り、かすかな望みに私たちは夢を託したい。 田川紀久雄
昨日は、激痛に襲われた。これが癌と付き合うといことか。この痛みは、他の痛みとはまったく異なる。座薬を一度使い始めると、また数時間後に使わなくてはならない。一度パンドラの匣をあけるともう次から次へと痛み止めの薬を使わなくてはならないのか。このよな時は版下の作成の作業は苦しい。
詩誌・操車場の第一号の原稿の締め切りを10日で終わらせて頂きます。第二号の原稿は7月の5日まで受付ます。参加したい方は、作品をお送りください。パソコンのお持ちの方は、かならずフロッピーを同封してください。詩誌・操車場の会員を募っております。 創刊号は7月1日発行です。頒価500円(送料200円)です。 田川紀久雄
癌は確かに怖い病気である。だからといって怖れてはならない。私は末期癌である。助からない身体かもしれない。でもそのことを考えない。今日精一杯生きようと思うだけだ。自分のやりたいことのみしかしない。つまり我儘に生きている。生きることの根本をみつければ、癌など怖れることはない。人はいつか死ぬのだから。死ぬときはその人の寿命なのだ。だからその寿命まで楽しく生きればよいのだ。私のとっての人生の楽しみは詩語りを行うことだ。そのための努力なら身体を酷使してもいとわない。つまり毎日充実した生き方ができれば癌に脅えることはない。確かに身体の痛みはある。下手な薬を頼るより、自分自身の治癒力を高めることだと思う。それは人生に目標を持って生きることだと思う。次から次へと私は進んで生きている。田川紀久雄は死に急いでいるのではないかという人もいる。そうではない。生きる日々が充実しているだけなのだ。だから末期癌でも、死のことなど少しも考えたりしない。今やることだけを行っているにすぎない。
市民税の請求がきた。年間24000円。いままで免除されていたものが、なぜ24000円支払うのかわからない。仕事がないのに、それに毎月の医療費も大変なのだ。これでは弱者いじめ以外のないものでもない。政治とは、弱い者を苦しめるためにあるように思える。癌といわれたときより、頭に来た。怒りが爆発しそうだ。 田川紀久雄
昨夜、急に胸に痛みにおそわれる。坐薬を使用する。昼間詩誌・操車場の仕事をやっていたのが原因なのかもしれない。パソコンを無理して打つのは身体によくない。パソコンをおもちの方は、フロッピーを原稿と一緒に送ってくれればありがたい。このところ夜中ほとんど眠れない。癌と共生して生きることとはそれなりにしんどい。かつての同人雑誌の仲間達からカンパをしていただいた。友は有難いものだ。治療費にたすかる。彼らは、プリンタ代として送っていただいた。Hさんたちありがとう。操車場の原稿もほぼ集まった。残りの原稿は15日まで待つ。7月1日に創刊号を発行したい。 田川紀久雄
身体が痩せて、肌の艶までなくなってしまった。2日まえから身体全身にオリーブ油を塗り込んだ。見る見るうちに身体に艶がでてきた。肌が油を欲しがっていたのだ。お腹の周辺は以前のような艶に戻ってきた。入院していれば、このような家庭治療ができない。それに漢方を取り入れた食事も、それなりに身体に抵抗力をつけてくれる。現代医学とうまく付き合っていくしかない。とくに末期癌の私は、自分に出来ることはなんでもしたい。確かに食事代も以前よりかかる。収入のまったくない私にはつらいことだが、友人たちのカンパ代でこの危機状態を乗り越えてゆきたい。そして7月の詩語りに向けて体力をつけてゆくことが今の私の仕事である。
漉林総目録が手作りできあがりました。欲しい方は500円プラス送料200円でお分けいたします。部数が少ないので早いもの順です。漉林の数冊が不明なので、完璧な総目録ではありませんが・・・ 田川紀久雄
癌との付き合い方の中でもっとも大切なことは、いま精一杯生きることである。明日のことなど考えない。明日は明日になってから考えればよい。できれば自然の中で生活が出来ればよいのだろう。私は臨海川崎に住んでいる。排気ガスや工場からの煙で癌患者が住むところではない。散歩も出来ない状況だ。産業道路の交差点で、アザミにてんとう虫を見つけた。こんなところにも生き物がいる。不思議な感覚にかられた。どんな状況のなかでも生きていく生命力を持つことが必要なのだと痛感。生命の弾き語りや、生命のお話をしたい。呼んでくださる方がいれば喜んでゆきます。 田川紀久雄
7月23日(月)ストライプハウスギャラリー。田川紀久雄ゲスト坂井のぶこ。詩集「見果てぬ夢」の出版ライブ。天童大人さん有難う。
昨日CTの検査を行う。現代医学には、かならず副作用がともなう。だからこそ体力を付けなければならない。結局は自己との闘いでもある。今を真剣に生きることしかない。抗癌剤やいろんな検査のおかげで身体はやせていくばかりだ。これは自分でも悲しい。
今日は胸が痛く、夜はほとんど眠れなかった。
プリンターが故障してしまった。お金がない時に起こる事故だ。はやく詩誌「操車場」を出したいのに困ったものだ。なんとかしなければ・・・。 田川紀久雄
昨日横浜の中華街に行く。薬膳の材料をもとめに。現代医学だけに頼っていては、癌は治らない。「生命への旅」の詩を書くにも、体力を少しでもつけなくてはならない。今一瞬を大切に生きていくためには、何をなすべきかを考える。長生きしたいと考えないこと。いま生きていることの幸せを感じとれればそれでよい。そして一篇でも多くに詩が書けたらそれでよい。
いま漉林の総目録を作っているが、数冊わからない号がある。不備があるが、いま出来ることをしておきたい。今週中には、手作りで数十冊作る予定である。欲しい方がありましたら、送料込みで500円でお送りいたします。 田川紀久雄
癌になると気が短くなるのだろうか。最近すべてのものに対して苛立ちを感ずる。入院するまえは血液型はO型だと思っていた。なにしろ両親がO型なのいだから。しかし病院で検査したらB型であった。性格ものんびりしていたからO型だと信じていたのだ。それがあなたはB型だといわれ驚いてしまった。末期癌と闘って生きぬくことは並々ならぬ努力が必要なのだと痛感する。まず、無理をしないこと。とっても私の性格では無理な話だ。やりたいことがあまりにも残されているからだ。いまこの文章も朝の4時半に書いている。夜もろくに眠れない。あれこれと考えているからだ。
今週には詩集「見果てぬ夢」の版下をは斑猫書房に渡せる。一つの夢を一つ一つ行ってゆきたい。次は詩誌「操車場」の創刊号の発行だ。依頼した原稿がまだ集まらない。精神的にもいらいらしている。それから漉林の総目録を作ることだ。ああ、毎日が忙しい。それなのに身体が思うように動かない。 田川紀久雄
詩誌・操車場の原稿〆切変更。
毎月の一日が原稿の〆切日になりました。発行が翌月の一日です。十五日〆切ですと、版下の製作・校正などで一日の発行は無理だからです。末期癌である私には、無理した仕事はできないからです。会員の方はお早めに原稿をお送りください。少しづつ詩誌の形が見えはじめてきました。生命のあり方を真剣に考えてゆきたいと思っております。癌になってみて、周囲の人たちの多くが癌に侵されていることに気付きました。
夜は嫌な夢ばかりみます。夜中何度の眼がさめて熟睡ができない日々です。胸のあたりにしこりを感じいつも重苦しい気分でいます。でも癌に負けない生き方を模索しております。 田川紀久雄
昨日、パソコンで仕事している途中急に腹痛に襲われた。2時間ばかり動けなかった。根をつめて仕事はできそうもない。
詩誌・操車場の原稿があつまらない。他者を相手にしていたら今の私は生きていけない。一時一時を大切に生きていたい。そして今の自分の生き方をどんどん書きこんでゆきたい。生きていることの大切さを噛みしめながら一瞬一瞬を真剣に生きたい。
私と一緒に作品を詩誌・操車場に載せて方は、原稿をお送りください。月刊詩誌です。詳細は田川紀久雄まで。操車場の参加の案内をお送りいたします。 田川紀久雄
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