温みのある声を出したいね。昨日田川さんと病院の談話室でそんな話をしました。人の心を包み込む声を出したいと思うのです。
声といえば一度異様な経験をしたことがあります。十数年まえのことなのですが、今も生々しく記憶に残っています。そのころ新宿駅で月一回ライブが行われていました。ゲリラ的なものではなく、確かJR主宰だったと思います。南口に観客数十人ぐらいが入れるスペースをつくり椅子をならべてのミニコンサートでした。そこにある時、沖縄の有名な歌手がきたのです。名人といわれた民謡歌手を父にもち、ヒット曲というよりロングセラーとして歌い継がれる唄を作詞作曲している人です。平和運動にも積極的に取り組んでいました。
私たちは偶然通りかかって会場にはいりました。立ち見でしたが、超満員というほどでもなかったように記憶しています。コンサートはゆるやかに始まりました。メンバーの女性が高く澄んだ声でうたいます。三味線の糸を合わせる音にも情緒が感じられて長閑な雰囲気だったのです。
中ほどに差し掛かってその歌手が歌い始めた時、雰囲気が変わりました。平和を訴えるメッセージと唄。歌詞はそんなに過激でないのに会場の緊張感が高まってきます。彼の声に心も体も乗せられて、このままいったら何が起きるのだろう、といった感じでした。振り向くと警備員たちの顔がこわばり、体を硬くしています。緩やかな曲から調子の早い曲にうつり、踊りだす人が出始めました。もう少しで会場の外にまでこの興奮が広がっていく、そのあわやというところで彼は声を収め、何食わぬ顔でコンサートを終えました。声の力、声の怖さというものを改めて感じずにはいられませんでした。
戦後の詩人たちが声を否定したのもこの怖さを感じていたからでしょうか。今は誰でも抵抗なく人前にたちます。声を否定し、活字だけで堅固に構築してきたはずの戦後詩はどこにいってしまったのでしょう。なんだか物足りないのです。声の怖さを自覚してゆこうと私は思います。今は危うい時代ですから。
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