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2007年5月31日 (木)

日記

5月29日
朝食食べられずに、9時半に病院に一泊入院をする。午後も食事を半分残す。
血液検査・レントゲン・心電図・尿検査を午前中に行う。午後から抗癌剤の治療を行う。夕食は美味しく食べられた。
5月30日
担任の大塚先生と話し合うことが出来た。本当のことを教えてください。10月のライブは可能だということ。6月4日にCTを撮ってみて、次の抗癌剤を決めていくという。12時に帰宅する。詩集・「見果てぬ夢」の校正ゲラを直す。游星社の保坂さんが、企画で出版してくれるという。売れたら後で印刷代を返してくれればよいとのこと。売れなければそれまで。でも私は病院代を稼がねばならない。何としてでも売らねば生きていけない。出版ライブでも行いたい。天童さん7月に巡回朗読会をやらせてもらえないかね。 
詩誌・操車場に金子啓子さん野間明子さんが参加してくれるという。有難い。    田川紀久雄

2007年5月29日 (火)

日記

今日は、一日入院です。抗癌剤の治療がいくらか効いているのか、胃の痛みはずいぶん緩和されました。気になるのは体重があいかわらず減りつづけていることです。
詩誌・操車場の第一号の原稿の〆切りは6月15日です。会員になりたい方は、田川紀久雄までご連絡ください。会費無料。参加費5000円です。末期癌と闘いながら詩誌を発行してゆきます。  田川紀久雄

2007年5月28日 (月)

日記

銭湯に行くたびに、体重は減るのを見ると悲しくなる。食事が思うように取れないためなのだろうか。それとも抗癌剤に副作用なのだろうか。
多くの人たちから見舞金を頂いた。心よりお礼を申しあげます。これでいくらかの医療費に当てられます。助かります。
5月27日(日)に新潟の鈴木良一さんが、川崎にこられ、丸善の喫茶室で2時間ばかりお話をした。竹内多三郎のこと、それから詩語りのこなど。新潟で詩語りを行ってくれるとのこと。それまで元気であればの話だ。
詩誌・操車場の準備号の原稿があつまりつつある。最初に倉田良成さんが送ってきてくれた。6月にはだしたい。  田川紀久雄

2007年5月26日 (土)

詩誌・操車場会員募集

昨日詩誌・「挑戦」の記事を載せましたが、詩誌名を「操車場」に変更させていただきます。「挑戦」だと題名がどきついとの指摘があり、浜川崎駅周辺が操車場なので、そこから名前を取りました。
会員募集 13名ほど集めたい
月刊詩誌 発行1日 〆切り日毎月15日
会費 5000円(版下代・送料・その他) 
詩作品・エッセイ・評論など(原稿用紙8枚以内・それ以上の方は相談の上で掲載)
コピーの手作り詩誌です。
書いてには5部お渡しいたします。

詩誌・漉林は137号で終刊にいたします。
末期癌である私はいつ死ぬかわかりません。だからこそ、月刊詩誌を発行したいのです。闘って生きてゆきたいのです。いつこの詩誌が終刊になるのかも解りませんが、田川紀久雄と一緒にやりたいと思う方は参加をお願いいたします。    田川紀久雄

2007年5月25日 (金)

挑戦」という名の詩誌をだします

昨日の夕方、帰ってみたら田川さんが新しい詩誌を立ち上げていました

「挑戦」という名にするそうです。自身の末期癌と地球環境を結びつけてテーマにしてゆくといいjます。地球環境も限界点に近づいて末期癌に似ているということなのですね。

 先のことはわからないのですが、どこまでゆけるか、まさに「挑戦」というわけです。なんやかや忙しくなりそうです。部屋も片付けなければならないし、少し混乱してきました。

 家の近くにマンションが次々に建って風の通り道が塞がれてゆきます。隣接する川崎南高校跡地の土壌汚染もどうなったのか。その後なんの報道もありません。商業施設が建つにしても、ほかの文化的なことに使うにしてもその除去のほうが先だと思うのだけれど。あと数十年たてば、このマンション群も高島平や多摩ニュータウンとおなじく衰退の道をたどるのでしょう。コンクリートのビルには世代を超えて人が住み続けるだけの魅力がない。なぜでしょうね。灯かりの灯ったマンションが巨大な慰霊碑のようにみえます。

 まあしばらくは「挑戦」です。400字詰め原稿用紙、8枚5千円で原稿も募集しています。エッセーや詩、評論など。一日発行。締め切り十五日。月刊誌です。手作り誌で部数は少なめです。よろしくお願い致します。

                                          坂井のぶこ

2007年5月24日 (木)

抗癌剤治療二回目です

一昨日、治療を受け、昨日戻ってきました

 今のところめだった副作用もなく、家のなかで普通の生活が出来ています

 発病してから生活習慣や食事に気を使い出していろいろなことが変わってきました。冷えを予防するために靴下を常にはき、生ものや冷たい飲み物をとらないようになりました。田川さんは暑がりだったので、真冬でも靴下は履かなかったし、刺身や冷たいビールが好きだったし、風呂上りのアイスクリームも楽しみのひとつだったのですが、一切やめました。可愛そうですが、仕方がない。けれどご本人もそういったものをあまり摂りたくなくなったといいます。私もお相伴しています。

 田川さんはノートに手書きで詩を書き出しました。家に帰ってからワードで清書してもう詩集一冊分になりました。二週間弱です。早い。お金をかけずに本にする方法を考えています。本人は最後の詩集といっております。

 さあ、今日も深呼吸をいたしましょう。ぼつぼつと生きていきます

                                         坂井のぶこ

2007年5月23日 (水)

深呼吸をしましょう

田川さんは一日入院で今日帰ってきます

 抗癌剤を夜の11時半までかかって点滴で体の中へいれたそうです。今朝電話がかかってきました。今のところ、気分が悪くなったりはしていないとか。お昼ごろには帰ってくるので、食事の用意だけして私は仕事に出掛けます。今日の主役はたら。さて、どう料理しようかな。

 どこか気が動転しているのですね。日常のなかで大切なことをいくつも忘れてしまっています。朝、やろうと思ったことを夕方になるところっと忘れてほかのことをしていたりします。まあ、仕方がないか。ここらでひとつ深呼吸でもして、さあ今日も一日生きていきましょう

                                       坂井のぶこ

2007年5月22日 (火)

二回目の抗癌剤治療です

田川さんは今日入院をします

 抗癌剤を投与して一晩泊まって明日帰ってきます。この二日間は私も休みだったので、二人で過ごしました。ただ部屋にいて、日常の生活を送っただけなのに、すごく濃密な時間が流れたように思われます。

 中医学の考え方では、癌というのは気の滞りがひとつの原因となって起きるのですね。食べることと生活習慣で滞りをよくしてゆく工夫をしていこうとしています

 私はいまビオトープ管理士の資格をとるために生態学の勉強をしているのですが、地球環境の悪化と、人間の体内環境の悪化というのはなんだか共通点がありますね。どちらも循環が乱され、滞っているところに問題がある。こういうことを主題にして詩を書いてゆきたいと思うのです。

 とにかく今の私に出来ることは、免疫力をつけ、気の滞りを解くために食事をつくることです。食べることがこんなに大切だとは今まで感じませんでした。食材がいとおしく感じられます。私たちは食べることを通じて世界とそして体と繋がっています

漉林ミニ通信」をつくりました。160円分の切手を送って頂ければお分けいたします。

 では今日もよい一日でありますように。

                                          坂井のぶこ

2007年5月19日 (土)

癌ってなんでしょうね

癌は別名を悪性新生物というそうですね

 地球の環境の乱れが私達の体にも現れているように感じられてなりません。窓を開けると空気のなかに何かが混ざっているようでくしゃみがでてきます。川崎も大きなビルが次々に建設されて風の通り道がふさがれていきます。公害が下火になって少し住みやすくなったら今度はこれですもの。人間と環境。調和のとれた生活をしたいものですが……。

 田川さんが戻って日々は一見何事もなく過ぎてゆきます。体のなかの悪性新生物が暴れないように、小さくなってゆくように食べ物など工夫しながら、暮らしてゆきたいと思います。

                                            坂井のぶこ

2007年5月18日 (金)

田川さんは一時退院しました

昨日はせわしない一日でした

 一昨日抗癌剤を投与して、一日で退院です。ニ、三日様子をみると聞いていたので少々あわてました。あわただしく準備をしました。外はひどい雨です。

 家へ帰ってから区役所へ出向きました。ある人の紹介で福祉事務所へ生活保護の相談にいったのです。私の収入ではたかがしれているし、このままでは医療費が支払えなくなるのが目にみえているからです。結果からいうと駄目でした。持ち家(築数十年そろそろ取り壊し時)があるということと、地代の更新料を貯めていたことがネックになりました。貯蓄を八万円まで減らし、今の家をでてアパートを借りなければ無理だといいます。やれ、やれ。ひとつ、ひとつ問題を解決し、根気よくことを進めてゆくしかなさそうです。

 病気の治療には経済の問題も含まれるのですね。まあ、頭では知っていましたけれど、自分がその立場にたってみるとひしひしと身にこたえます。そういえば「動物哀歌」の詩人、村上昭夫さんも療養費を工面するのにいろいろ工夫をしていたと聞いたことがあります。サバイバルが始まったなあという感じです。

 田川さんは来週の火曜日に又入院して抗癌剤治療をし、翌日、水曜日のお昼に帰ってくる予定です。当分はこのサイクルで帰宅、入院の繰り返しになりそうです。生き抜くために淡々と粛々とやるべきことをやるだけです。

 ご心配を頂いた方、お見舞いを頂いた方、有難うございました。人の心の温かさを感じます。木々の緑や空の青がわけもなく美しいのです。

                                        坂井のぶこ

 

2007年5月16日 (水)

詩を書いています

 田川さんは詩を書いています

「 病院にいるとほかにすることがないよ。ぼけっとして詩の言葉が浮かんでくるのを待つんだ。だけどなかなか浮かんでこないね。」

 そんなことをいいながら一日一篇くらいのペースで書き進んでいます。私が褒めるのもなんですけれどなかなかいい詩です。もしも詩集にすることができましたら、お買い上げよろしくお願いいたします。

 抗癌剤治療が昨日から始まりました。午前中医師の立会いのもとで投与して、午後からは点滴、初日は無事に過ぎました。ご飯も八割がた食べられたそうです。治療がはじまってかえってほっとしたせいもあるのでしょう。これから先どうなるのか、生きている一日一日が宝物のように思えるこのごろです

                                         坂井のぶこ

 

2007年5月15日 (火)

抗癌剤治療が始まります

  昨日は大腸検査で大変でした。

 下剤を飲むと傍からみていても気の毒です。午前中はそういうわけでばたばたして午後から検査。田川さんの話では胃カメラよりも大変だったそうです。けれどもこれで検査は全部終了。大腸に異常はなかったということで一安心。外注に出していた検査の結果ももどって来て、夕方、主治医の先生から説明がありました。癌細胞の種類は中だそうで、あまり急激に進むものではないということでした。今日から抗癌剤の治療にはいります。癌というのはいろいろなタイプがあって、人によって違うのだそうですね。つまり癌細胞にも個性る、ということなのかしら。だから薬の種類を変えて何が効くのか、探っていくのだそうです

 治療に入るまでがとても長く感じました。結果を待っているというのは不安なものです。一週間ぐらいして経過がよければ退院。自宅から通院して治療ということになる模様です

 これから何が起きるかわかりませんが、とにかく生き抜きたいと思います。ご心配をおかけしますが、これからもよろしくお願いいたします。

                                        坂井のぶこ

2007年5月14日 (月)

通信は一方通行です

朝早く田川さんから電話がはいります

 病院へ電話を掛けるわけにはいかないので、いつも待ちの状態です。

 「窓の外を大きなサギが二羽飛んでいたよ。白くなくて青っぽいんだ。あれ名前はなんていったっけ

 手元においてある『野鳥小図鑑』をひらきます。青っぽくて大きなサギは一種類しか載っていません。

「それはね、たぶんアオサギ」

「ふうん、あのサギはよく見るんだけど二羽で飛んでいるのは初めて見た。こんなに自然が少なくなってどこもかしこも汚れているのにいったいどこにいくんだろうね。もう起きてたの」

「目は覚めてたけど布団の中にいた。ちょっと疲れてたから」

「オレ、昨日の夜熱がでたよ。38度。氷枕貰って寝た。」

「大丈夫」

「うん、大丈夫。まだ寝てな」

「じゃあ、あとでいくね」

 毎日こんな感じで話しています。今日は大腸の検査を夕方からするのだそうです。病院へ行くころにはアオサギをテーマにした詩が一篇出来ていることでしょう。

                                          坂井のぶこ

2007年5月13日 (日)

詩を書いています

 田川さんは今しきりに詩を書いています

 もうノート一冊終わってしまいそうです。病院にいてもどこにいてもいつも何かを猛烈な勢いでしてしまう。変わりませんね。今度の「漉林ミニ通信」には田川さんの詩が載ります。

 このところ胃の張りと痛みがでてきて食べ物を受け付けないのが心配です。しかし、電話などでは食事の話をよくします。「今日、なにを食べた」「うん、納豆と卵焼き」「いいなあ、納豆たべたいなあ」こんな調子です。私がちゃんと食べてその話をすることでなんだか和やかな雰囲気が二人のあいだに漂うのです。だから毎食料理してお弁当も作ります。安い材料で簡単にぱぱっと作るものばかりですが。

 なにもない平穏な一日、一日が今はとても大切です。生き抜くことを目標にして静かに進んで行きたいと思います。

                                             坂井のぶこ  

2007年5月12日 (土)

朝、キジバトが鳴いていました

 4時に目が覚めました。あたりはもう薄明るくいろいろなものがぼんやりとみえます

 今日は田川さんが午前中だけ帰ってくるのでお粥をつくろうと米をといでいたら、キジバトの鳴き声が聞こえてきました。ボーボボッボー、ボーボボッボー、キジバトの鳴き声はサンバのリズムににています。雨模様の日になくことが多いのですが今日のお天気はどうなのかな。

 大丈夫、私は大丈夫。心のなかでそう繰り返しながら毎日を過ごしています。この状況にももうじき慣れることができるでしょう。

 漉林の残りの仕事も少しずつ片付いてきています

                                            坂井のぶこ

2007年5月11日 (金)

田川紀久雄全詩集発売しています

 「田川紀久雄全詩集」のうち一巻、二巻を発売しています

 定価は各巻とも3500円です。治療費をなんとかせねばならずお買い求め頂ければ幸いです。

 病院の窓から横浜と東京がみえます。マリンタワー、多摩川にかかる大師橋。真ん中に鶴見の総持寺。川崎って本当に間なんだなあと実感しました。この土地にきて、こんなことになるなんて想像もしていなかった。こういう景色をみているとなんだかどこにでもいけそうな気がするのです。

 笑いながらまあまあ元気で生きてゆくように心がけていますあまり気張ると長続きしないし。どうやら持久戦になりそうです。いろいろご心配いただいてすみません。そして有難うございます。

                                           坂井のぶこ

2007年5月10日 (木)

朝、田川さんが戻ってきました

 朝、一時的に田川さんが戻ってきました

 入院前に手がけていた「索」の直しをするためです。今のところは動けるし、病院も近いのでこういうことができます。久しぶりにいっしょに朝ごはんを食べました。なんとかめどがつきそうです。

 治療のほうはまだ検査が続いています。抗癌剤の投与まではいっていません。輸血と点滴の日々です。糖尿があるので食事は薄味。インスリンも打っています。これから長丁場になりそうです。淡々ととした心持でいたいものです。体も心も長持ちをさせるために

                                           坂井のぶこ

2007年5月 9日 (水)

今年最初のコウモリを見ました

 やっと一匹コウモリを見ることができました

 夕方7時ごろ、浜川崎駅の踏み切りを渡ろうとして見つけました。人の背丈よりちょっと上くらいの低空を飛んでいたので翼の輪郭がはっきりと見えました。しかし一匹だけです。去年まではこの辺を数匹飛び交っていたのに。

 そういえば今年は虫をあまり見ていません。蚊柱もたっていないし、モンシロチョウもハチもアリすらもいない。そして線路際の草が無残な枯れ方をしています。緑がいちばん美しいはずのこの季節、根元から褐色になり干からびているのです。自転車置き場のわきにススキが一株毎年生えてきていて、今年も新しい芽が伸びてきていたのに枯れてしまいました。あたりは死の世界。まさに小さな「沈黙の春」です。

 ここにはそれなりに草や鳥や虫からなる小さな自然が形作られていたのに、それすら壊されてしまいました。胸がつぶれる思いです。そしてもし薬剤がまかれたのだったら、人の体への影響も心配です。毎日たくさんの乗降客がこの踏切をわたってゆきます。毒性の強い物質は生物の体内で濃縮されます。たとえ今は無事でも長い時間をかけて循環し、食物連鎖の頂点にいる動物、そして人の体内で高濃度に蓄積されます。

 こんなに身近に簡単に毒性の強い薬物が使われてしまっていいのでしょうか。今しきりに取り上げられている煙草の害より、むしろこちらのほうが問題なのではと思うのです。

 猫もオナガもヒヨドリもカラの類もそしてカラスすら最近この辺では姿をみません。「生き物がいないよ」と話したら田川さんもさみしそうな顔をしたのです。

                                          坂井のぶこ

2007年5月 8日 (火)

有難うございます

日本人のしきたり―正月行事、豆まき、大安吉日、厄年…に込められた知恵と心 Book 日本人のしきたり―正月行事、豆まき、大安吉日、厄年…に込められた知恵と心

著者:飯倉 晴武
販売元:青春出版社
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 お見舞いに来てくださった方、励ましのお手紙やお電話をいただいた皆様。有難うございます

 田川さんは今のところ、まあまあ元気です。話せて歩けるということは何にしても有難いことです。病院というのはとにかく寝るように出来ているところなのですね。本当にすることがない。テレビは一時間百円でカードを差し込んで見られるようになっています。なんだか昔の温泉旅館みたい。こうして病院へ通うのは二十数年前、父の手術のとき、付き添いをして以来です。新潟の燕三条の病院でした。あの頃は病院へ行くということがすごく重く感じられたけれど、今は楽です。家から歩いて十分という距離のせいもあるのかな。

 頑張って生きていきます。時々センチメンタルにもなりますが、そういう気持ちを又楽しんでいる自分がいます。

                                            坂井のぶこ

2007年5月 7日 (月)

少しずつ声を出しています

 田川さんは病院の談話室で少しづつ声を出しているそうです

 もちろん人のいない時。小声で宮澤賢治の童話など読んでいるそうです。「なんとなく以前とちがってきたよ」といいます。小声で読むと内容がじっくりはいってくるそうです。これから抗癌剤治療を受けて経過がどうなるか。九月にひとつ公演の予定がはいっています。それはなんとかやり遂げたいと二人とも願っています

 私もそろそろ準備をはじめようと思っています。なかなか忙しく日が過ぎてゆきます。柑橘類の花があちこちの庭や公園で咲きはじめ、甘い香りがただよってきます

                                              坂井のぶこ

2007年5月 6日 (日)

DVD販売のお知らせ

 この度漉林書房から「田川紀久雄最後のソロライブ『越後』」のDVDを発売致します

 1985年から2002年までの22年間、詩語りに生命を燃やして打ち込んできた田川紀久雄のソロライブです。生まれた地、越後を歌った情感あふれる詩語りです。三味線なしで一冊の詩集を語りきりました。これも珍しいことでおそらく最初で最後でしょう。一枚2300円です。癌治療の為、資金が必要となったこともあり、お買い求め頂ければ幸いです。ご注文はメールか葉書で漉林書房まで。よろしくお願いいたします。

 プレゼントとして坂井のぶこのソロライブ「中国古典詩考」をつけます。これもちょっとしたものなのですよ。自分で自分を褒めてしまった。ごめんなさい。これは手違いでした。DVD化がまだ出来ないため、おまけは中止です。

 漉林ミニ通信製作中です。そこにも詳しいことをのせます

 今日はひどい雨になりました。病院へゆく時間には小降りになるとよいのですが。連休も最後ですね。ゆっくりとお寛ぎください。

                                              坂井のぶこ

2007年5月 5日 (土)

ツバメを見ました

 昨日、今年はじめてのツバメを見ました。夕方の六時ごろ、病院4階の談話室から外を見たら、ツイツイと二羽飛んでいました。ツバメが来るとなんだかほっとします。あとはコウモリ。今年はなかなか姿をみせないので心配なのです。

 田川さんはやはり癌でした。ある程度予想はしていたのですが、ショックです。来週から抗癌剤で治療をはじめます。今のところは静かな日々です。毎日病院へゆき、談話室で夕空をみながら話をします。それなりの日常が過ぎてゆきます。この時間を大切にしてゆきたいと思います。

 今度出す予定の通信は「漉林ミニ通信」と名づけました。ミニという響きがなんだか可愛いな、と自分たちで思っています。今版下を作るので悪戦苦闘しています。これまでは田川さんがやっていましたからね。がんばります。

坂井のぶこ

2007年5月 3日 (木)

「漉林」休刊のお知らせ

「漉林」はしばらく休刊いたします

 昨日、田川さんの検査の結果がでました。入院治療に思いのほか長い時間がかかりそうです。本人の意思で「漉林」は休刊することにしました。会員の方、寄稿をしてくださった方、そのほかいろいろな形でお世話になった皆様、有難うございました。この場を借りて御礼申し上げます。137号までよく続いたものだと思います。また元気になりしだい再会させていただきます。

 今後は田川紀久雄、坂井のぶこの二人で小さな通信をだしてゆく予定です。詩語りもできるだけしてゆきたいと思っています。治療費も稼がなければいけないし、なかなか忙しくなりそうです。改めてよろしくお願いいたします。

                                            坂井のぶこ

2007年5月 2日 (水)

温みのある声を

 温みのある声を出したいね。昨日田川さんと病院の談話室でそんな話をしました。人の心を包み込む声を出したいと思うのです

 声といえば一度異様な経験をしたことがあります。十数年まえのことなのですが、今も生々しく記憶に残っています。そのころ新宿駅で月一回ライブが行われていました。ゲリラ的なものではなく、確かJR主宰だったと思います。南口に観客数十人ぐらいが入れるスペースをつくり椅子をならべてのミニコンサートでした。そこにある時、沖縄の有名な歌手がきたのです。名人といわれた民謡歌手を父にもち、ヒット曲というよりロングセラーとして歌い継がれる唄を作詞作曲している人です。平和運動にも積極的に取り組んでいました。

 私たちは偶然通りかかって会場にはいりました。立ち見でしたが、超満員というほどでもなかったように記憶しています。コンサートはゆるやかに始まりました。メンバーの女性が高く澄んだ声でうたいます。三味線の糸を合わせる音にも情緒が感じられて長閑な雰囲気だったのです。

 中ほどに差し掛かってその歌手が歌い始めた時、雰囲気が変わりました。平和を訴えるメッセージと唄。歌詞はそんなに過激でないのに会場の緊張感が高まってきます。彼の声に心も体も乗せられて、このままいったら何が起きるのだろう、といった感じでした。振り向くと警備員たちの顔がこわばり、体を硬くしています。緩やかな曲から調子の早い曲にうつり、踊りだす人が出始めました。もう少しで会場の外にまでこの興奮が広がっていく、そのあわやというところで彼は声を収め、何食わぬ顔でコンサートを終えました。声の力、声の怖さというものを改めて感じずにはいられませんでした。

 戦後の詩人たちが声を否定したのもこの怖さを感じていたからでしょうか。今は誰でも抵抗なく人前にたちます。声を否定し、活字だけで堅固に構築してきたはずの戦後詩はどこにいってしまったのでしょう。なんだか物足りないのです。声の怖さを自覚してゆこうと私は思います。今は危うい時代ですから。

2007年5月 1日 (火)

また還ってきます

 『漉林』137号の発送も終わり、田川さんは病院へ戻っていきました。また必ず還ってきます。少し時間はかかるかもしれませんが

 詩を声に出して読む、ということについて文章を書きながら考えています。私が始めたのは1975年ごろからでしたけれど、あのころは、朗読をすると言葉が流れるし甘くなるからやめたほうがいいとよく云われたものです。私はそれらの言葉を右から左へと聞き流してしまって、根拠となる論理を尋ねることをしませんでした。今考えると惜しいことです。

 あるいは昭和の十年代、日本が戦争の泥沼に足を突っ込んでいった時期、戦意高揚に詩の朗読が利用されたその記憶がああいった言葉になったのでしょうか。声を拒否、封印して沈黙のなかを生きる、それはとても苦しいことです。あえてそういう道をすすむ方は今でもいらっしゃるのでしょうか。

 声は確かに怖いものなのです。それは暴力にもなりえます。人を良い気持ちにさせて思考を麻痺させ思い通りに操ることさえできます。それは諸刃の刃なのです。今、朗読をされている詩人でその怖さを自覚されている方がどれ位いらっしゃるでしょうか。

 人に聞いてもらうからには良いものをと思いますけれどその反面の怖さをよく考えていくことが必要です。自由と命の輝きを私は求めます。なにかに縛られ強制されて声をだすことはしたくありません。

 今の世相をみていると不安になってくるのです

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