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2023年1月17日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

いままで読んでいただきありがとうございます。今日で詩語り日記は終わります。眼は悪いので

2023年1月16日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

聲には厚みを感じさせなければならない。その厚みは日々の精進によってしか得られない。素人のどうしても聲は薄ぺらで聴くに堪えないものである。普段お聲は語りには通用しない。一度聴いてみる必要がある。私のように毎回異なったテキストを語る詩人はいない。毎回異なるテキストを語るのは大変苦しい。一か月でそのテキストを語れるまでにするのは難儀なことである。ある意味では新鮮に語れる。毎日が聲との闘いである。

2023年1月15日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

詩語りの仕事が欲しい。ここまで物価が値上がりしてくると、わずかな面金生活では生きてゆけない。詩人の聲にも参加ができなくなる。そのためにも今まで以上の精進をしてゆかねばならない。遊びという気持ちはない。CDも一枚でも売り上げたい。生命讃歌の詩語りを聴いてくださる方がいないものなのか。何でもよいから呼んでくれる人がいないのか。何人かの詩人に送っても何も言ってもらえない。ネコのためにも頑張らなければならない。

2023年1月14日 (土)

田川紀久雄詩語り日記

NさんからCDの感想をいただく。自分で納得ができないCDに良かったといわれても心がとまどうばかりだ。最近自分のCDを聴くのが嫌になっている。語り手は自分の芸に満足したらお終いだ。不満があるから上達する。不満を超えようと努力する。精神的に悪い。永遠に自分の芸に満足をすることはない。少しでも良い芸をお客に提供してゆきたい。日々が苦しい。これしか生きられない。つらい。

2023年1月13日 (金)

田川紀久雄詩語り日記

また相棒が眼の手術で入院する。生活が大変だ。詩語りでいくらかでも稼げないものなのだろうか。いつまでも持ち出しでは生きていけない。まだまだ未熟な詩語りだけれども、聴いてもらいたい。末期ガンにも負けずにここまで生きてきた。この社会に適して生きられない。詩人なんで無用の長物なのだろうか。こう物価の値上がりではまともな食事もとれない。ああ仕事が欲しい。

2023年1月12日 (木)

田川紀久雄詩語り日記

一日一日を大切に過ごす。詩語りが何もならないにしても精進をしてゆく。芸人たちも何も考えずに精進をしてきた。それお貫き通してきた人だけが芸人になってゆけるのだろう。詩語りは芸の内に入らなくても同じ道を歩むしかない。月一回のライブは楽しみである。19日(木)巣鴨平和教会で行う。毎回異なったテキストを語っている。

2023年1月11日 (水)

田川紀久雄詩語り日記

誰でもが自分の聲になかなか自身が持てないものだ。聲だけで聴き手に聴かせているわけでもない。その人の人間性で聴かせるものである。表現とは単純なものではないということだ。詩の朗読や詩語りは、聴き手に満足を与えるのは難しい。ここまで鍛えれば良いという世界ではない。最後まで未完の表現である。その未完な世界をどのように表現するのか。それがライブする意味が問われる。

2023年1月10日 (火)

田川紀久雄詩語り日記

精進していても、結果などなかなか見えてこないものだ。修行と思って行うしかない。一年二年三年と続けることで腹ができてくる。そのことが大切なのであって、結果はそれほど問題にすることではない。生命の進化は何億年という歳月を費やしてきている。詩語を行うことの歓びを感じることが大切なのである。今年も頑張ってゆっくりと歩いていこう。

2023年1月 9日 (月)

田川紀久雄詩語り日記

残像のテキストをお幅に直す。ライブの当日まで語りやすいように直す。どのように聴き手に聲が伝わっているのかまったくわからない。CDが出来上がってくるまでは何もわからない。この一年間どこに目標を持っていくのかまだ何もわからない。コロナもますます蔓延化している。このコロナの先が全く見えてこない。気持ちだけはしっかりと持っていなくてはならない。今年も自分自身との闘いで終わるかもしれない。

2023年1月 8日 (日)

田川紀久雄詩語り日記

戦争の終結はまだまだ何も見えてこない。これは世界全体の責任である。地球は一つである。精一杯生きることが大切である。それが無意味な戦争でいのちを亡くす。誰もは生命讃歌を語らなければならない。私は詩語りを通してそれを語っている。だれも聴いてくれないのはつらい。コロナも死者が増えている。コロナ対策もだんだん減らしている。自己責任という感じだ。まったく無責任な時代になってしまった。今月の19日はライブだ。巣鴨平和教会で7時から行う。いまはそのテキストを懸命に語り込んでいる。

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