無料ブログはココログ

2019年4月 5日 (金)

田川紀久雄日記

このところ精神的に疲れていますので、ブログはすこしお休みします。

2019年4月 4日 (木)

田川紀久雄日記

このところ喉がいたい。あまり聲がでない。それでも詩語りの稽古を続ける。
物価の値上りで、生活が苦しい。これでは弱者いじめでしかない。希望は、凄い詩語りを行うことだ。人に感動を与えられる語りを目指していかねばならない。頑張って生きていくしかない。

2019年4月 3日 (水)

田川紀久雄日記

相変わらず朝は寒い。
詩集『八月にむけて』の校正をしている。読み返してみると楽しいものだ。毎日、公園で稽古を続けている風景を描いているだけなのだが、心の揺れの動きが面白い。詩集を上梓ても、今は誰も何も言ってくれない。なんとなく寂しい気持ちがする。私も他人の詩集に返事を書かないのだから致し方がない。他者にとって詩語りなどに興味がないのだから、どう返事をしてよいのか解らないのだろう。
日本の国は、どこに向って進んでいるのだろうか。どんどん軍事的に拡大している。危険な国家になりつつある。国が言う平和と、国民が望んでいる平和とあまりにも違いすぎている。九条は変えるべきではない。それを捻じ曲げようとしている安倍政権は、危険だ。まさに冷の世界になりつつある。私は詩語りを通して叫んでいたい。

2019年4月 2日 (火)

田川紀久雄日記

令和はれいわと発音しにくい。万葉集からかもしれないが、本当の意味を知らないらしい。
昨日天童大人さんから電話があった。久しぶりに聲を聴いた。
今年の桜はそれほど美しく感じられない。公園の近くの桜を見てそう感じた。4月からいろんな品目が値上がりする。それに10月からは消費税が10パーセントになる。庶民の生活が苦しくなるだけだ。それに対して年金の上げ率が0・1パーセントにかすぎない。ほんの少しか受け取っていない私には物価の値上がりは致命的な問題だ。今の私が自由に使える額は数千円ほどだ。それも生活費で終わっている。そのために詩集も手作り詩集しか出せない。誰からも相手にされない。お金を掛けない詩集は詩集として認めない風潮があるらしい。これは人間の傲慢な態度だ。一種の差別でしかない。そのことに詩人は気が付かないらしい。どんなに貧しくても詩集が出せる世の中であってほしい。それが手作りでも温かく迎えられる世界がくることを願うだけだ。

2019年4月 1日 (月)

田川紀久雄日記

詩誌受贈『野の草など・46号』鈴木良一
詩集受贈 『水崎野里子詩集・愛のブランコ』
4月になったが、朝はまだ寒い。いつもネコに3時ごろ起こされる。それ以後は眠れないまま朝を迎える。飼い猫であるネコはまるで娘のようである。詩が文学になるには、そうとうな個人の闘いのドラマがないと読んでいてもそれほど面白いものではない。朗読でも、芸術まで高めないと聴いていても楽しくはない。中途半端な世界は、人を退屈させるだけだ。
『風の聲』を語り続けて二ヶ月半になるが、いまだに思うような聲がでない。詩語りにとって聲はいのちである。そして言葉を深めた語りが出来なければならない。何としてでもライブまでには何とかしたい。毎日が闘いだ。

2019年3月31日 (日)

田川紀久雄日記

上野芳久さんから原稿が届く。良い作品だ。
作品というものは日々心を耕していないと生まれてこないものだ。詩誌の発表のために書くだけでは詩人とはいえない。書かずにはいられないことが大切なことである。本当の詩は、自分を豊かにもしてくれるが、他者の心を豊かにさせてもくれる。自然とはそのようなものなのだ。
資本主義は、人間の使い捨ての世界である。ここには
人間というものの豊かさを育てるには適していない。給料をもらうだけで働く。大部分の人はそうである。金がすべてであるかのような錯覚した思想が生まれてしまう。詩人が目指す世の中は、やはり自然を活かした生活である。他者に対しても優しい存在者である。そしてつねに生きている歓びを感じられる世の中を願っている。

2019年3月30日 (土)

田川紀久雄日記

同じ詩を三ヶ月間も語っていると、確かに何かが変わってくる。まず言葉に対する認識度が増してくる。そして語るように唄うことも身についてくる。あとは聲が思うように出ることだ。何としてでも納得のできる詩語りを行いたい。芸人であれば当然お客にはいつも最高な芸を披露したいものだ。まだこの世にこのような芸があったのかとおもわせたい。詩の世界で朗読が広まっていかないのは、聴きたいと思う朗読家が出現してこなかったからだ。詩人として知名度があるから、良い朗読をするとは限らない。朗読には知名度なんて何のかかわりもない。詩人は、すぐ知名度を欲しがる。なぜもっと無垢な存在者んなれないのか。私は詩集を90冊近く上梓しているが、まったくの無名詩人である。無名であるということは自由で気儘に生きていられる。書きたいものだけを書く。詩語りは口頭愛語の世界である。つねに平常心で凄い詩語りが出来ることを目指して努力してゆきたい。

2019年3月29日 (金)

田川紀久雄日記

「操車場・137号」発送がする。
詩を書くことで、自分の内面を掘り下げることが出来る。他者に読んでもらうというよりも、自分を知るために書いているだけなのかもしれない。Uさんによって、讃歌の世界に辿り着けたことはありがたかった。人は生まれたことに感謝が出来るようになれば、それは讃歌の世界に生きていることになる。
私は、いのちのひかりと生命讃歌を語ることで、詩語りの意味があると思う。世間から相手にされていないが、私には生きる希望を与えて貰っている。昨日は病院まで行くのに、歩くことが辛かったが、何とかしてもう少し歩けるようになれば、詩語りも再開(ライブ)していけると思う。8月に向けて頑張っていこう。

2019年3月28日 (木)

田川紀久雄日記

今日は内科の検診日だ。
桜が満開でも、私は花見には行けない。浮かれた気分にはなれない。8月まではライブに向けてひたすら『風の聲』を語ることである。毎日語っていても同じく語れた日など一度もない。聲が不安定なのだ。これは体力の問題もあるかもしれない。もしかしたら心不全が原因なのかもしれない。それでも少しでも納得のいく詩語りを作り上げたい。これは人間としての闘いである。とても楽しく行っている。生きることはつねに前向きで生きることで心の若さを保つことが出来る。老人だが心はまだ30代だ。ネコのためにも元気でいなければならない。そういえば昨日で我家にきて一年になる。幸せである。

2019年3月27日 (水)

田川紀久雄日記

「操車場」の印刷を始める。
あと二篇で詩集『8月に向けて』を書き終わる。私は生命讃歌を目指して詩語りを行わなければならない。そのことをはっきりと解った。それだけでもこの度の詩集の成果だと言える。8月に向けて日々『風の聲』を語り続けている中で、いろんなことを学ぶことが出来た。まだ5ヶ月もあるので、なんとか聲が出るようにしたい。詩語りは聲がいのちだからだ。何とか人の役に立つ詩語りを行いたいものだ。

«田川紀久雄日記