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2009年11月 9日 (月)

田川紀久雄日記

鳩山首相の判断力にちょっと疑問を感じる。民主党は小澤さんとの二重構造がどうしても腑に落ちない。でもいま改革を推し進めているものは応援していかねばならない。なにしろ自民党の政策はデタラメでありすぎたから。
亀岡新一さんの詩を語っているのだが、やはり難しい。でも語る意味のある詩だ。亀岡さんの詩は眼で読むより、耳で聴いたほうが面白い。畑と絵画に亀岡さんのすべてがある。人の詩を語るには無責任ではいられない。どこまで亀岡さんの精神を語りきれるかが問題だ。風狂の世界をどこまで表現できるのだろうか。彼の姿が眼に見えるように語らなければならない。
『未来への旅』の校正を終える。あとは印刷所に入れるだけだ。何としてでも百冊は売り上げなければならない。癌日記も出版したいが、これにはお金がないから無理である。手作りで小部数を作るしかないだろう。それからいのちについてのエッセイも書いてゆきたい。やりたいことがまだまだ一杯ある。それから人生を楽しむことも大切なことだ。貪欲にいろんな世界と関わってゆきたいものだ。そのためにも足腰を治してゆきたい。
本当の幸せはやはり人への愛を求めていくことだと思う。夢のない幸せは不幸になる。人の幸せを歓ぶ心が大切なのだ。そして慈悲の心が生きる勇気に繋がっていく。

2009年11月 8日 (日)

田川紀久雄日記

安藤美姫や松井秀喜は自分の身体の怪我をバネにして夢を叶えた。夢を持って生き抜くことはいかに大切かということだ。私も末期癌という病をバネにして詩語りに懸けていきている。そのことによってほとんど癌に怯えることもなく今まで生きてこられた。
バネをして生き抜くことは、誰もが出来るものではない。夢を本当に信じて生きていられるかどうかである。本当の幸せは自分が病に対して闘っていけることの内面的勇気を感じているときではなかろうか。それは平潟の海で日の出を見たときの太陽のエネルギーのようなものである。安藤美姫や松井秀喜から多くの人たちは生きる勇気を与えられたことだと思う。このエネルギーは人明かりでもある。
でも多くのチャンスが与えられることは、眼にみえない多くの人たちのおかげでもある。私の場合だって詩語りを企画してくださる方がいなければ、夢は何一つ叶えられない。スポーツ選手には多くのファンがいる。しかし詩の世界ではまずファンなんてなかなかいないものだ。でもそれを乗り越えて生きていかねばならない。ひたすら自分の夢に向かって生きている。そして聴きにきてくれた人たちのお陰でライブが行なえる。たとえライブの時お客が一人や二人であったとしても幸せを感じる。
一月八日に企画していただいた森下とし枝さんには感謝するばかりだ。まだ一度もお会いしたことがない。山本萠さんとのつながりである。
癌患者を応援する会を作りたいものだ。癌は本当に夢を持って生き抜いていける人は、癌が自然に退縮していくものなのだ。それには訳がある。自分の為に生きようとするのではなく、人明かりを目指している精神があるということだ。
今月の二九日に亀岡新一さんの出版記念会ある。亀岡さんの詩を語ることにいまは精進してゆきたい。

2009年11月 7日 (土)

田川紀久雄日記

幸せとはなんだろうか。個人個人によって違うものだろう。私にとってはやはろ詩語りの深さを求めて生きていくことだと思う。そしてそれが人明かりにつながっていければ嬉しい限りだ。しかし今の世の中をみているとあまりにも悲しい出来事が多すぎる。自然の風景の中に身を浸ることがやはり大切なことである。都会生活を送っていると、この自然というものがあまりにも遠い世界である。いつも何かに怯えて生きている。そして時間に追われ自分を振り返る時がない。
癌を宣告されても来年で三年になるが、何かに追われて生きてきたような気がする。いのちそのものをこれからは根本的なところから見つめなければならないと思う。一つ一つとのいのちの関わりがいのちを見つめていくことに繋がる。そこにはどうしても自然の自分の身体の中に受け入れていかなければならない。自然の厳しさ、そして恐ろしさを愛することが大切なのだろう。自然の美しさは、自然そのものの醜悪さの中にあるのかもしれない。自然は残酷なものだ。だからこそ美しさが際立って感じられるのだろう。この矛盾した世界が自然そのものである。つまり人間も自然の一部であれば、人間も矛盾の中でいのちと関わっていかなければならない。決して綺麗ごとだけではいきえてはいない。心の葛藤が大きければ大きいほど実りのある世界に近ずけるというものだ。人間にとってはその実りが苦さにしか感じないことのほうが多い。癌との闘いもまさに実りへの道でもあるが、生きているあいだは苦しさとにがさにしか感じないものだ。語りの世界も豊かになるにはこの道が必要なのだろう。
亀岡新一さんの画集が出来上がったと保坂氏より電話が入る。

2009年11月 6日 (金)

田川紀久雄日記

勿来の関はほんとうに素晴らしいところだ。桜の名所でもあるという。でも赤松が素晴らしい。茨城県を少し越した福島県にある。勿来の関をうたったうたの碑がたくさんある。そしれ海も見える場所にある。それから岡倉天心記念館も素晴らしい場所にある。
そして平潟港の近くの民宿にとまる。夜空は見事であった。人工衛星も見えた。まさに感動的であった。そして朝は、日の出前の朝焼けは美しいかぎりである。そして朝日の昇るのを見たときは考え無量であった。美しい自然はまさに心を癒してくれた。
夕方帰宅する。疲れたが生きていることの歓びを感じたことを思えば疲れたことなどはたいしたことではない。
明日は操車場の製本を仕上げて発送をしたい。

2009年11月 5日 (木)

田川紀久雄日記

レビストロローシ氏が100歳で死去した。一つの時代が終わったような気がする。「悲しき熱帯」は若いときに読んだ。
今日からプルサーマルが始動する。馬鹿げた行為だ。世界はプルサーマルから撤退をしているというのに、日本政府は何を考えているのか。CO2を減らすために必要なものなのかは疑問だ。コストが高い。それ以上に危険である。世界が滅びるかもしれない。国民がいくら反対してもこの政策を続ける政府には断固反対をしていくしかない。これこそ税金の無駄使いのなにものでもない。
トヨタがF1から完全に撤退したように、日本は原子力発電から全面撤退をすべきである。無駄なダムを作り続けてきたように、原発も同じように無意味な事業の一つである。日本は自然エネルギーの道を進むべきである。
今日は五浦に行く。出雲・伊豆・五浦(いずら)・有明(うみょう)の道をもとめての旅である。坂井のぶこさんの謎を解く旅にお伴をする。旅は癌の免疫力にも良い効果をあげてくれる。
操車場は七日に発送が出来そうだ。よくも三十号まで漕ぎ着けたものだ。癌は自然の力で治るものだ。人間の身体は本当に不思議な構造を持っている。癌に怯えない生き方ができれば、癌はそれほど恐ろしい病ではない。癌は多くの人生の意味を教えてくれる。そしてその意味にしたがって生きていくことができれば癌は退縮していくものだと信じるしかない。まさにそこに生きる歓びを得ることが出来るはずだ。

2009年11月 4日 (水)

田川紀久雄日記

日本のオペラも楽しく見せようとして工夫を凝らしている。歌舞伎でも常に時代と共に生きている。大切なことはお客に空きさせないことだ。それに対して詩の朗読はどうにもならない。詩は演劇ではない。詩はテキストと聲だけで勝負をしなければならない世界である。そのためにはやはり聲の力が物を言う。しかし、朗読の歴史は浅い。それに趣味程度の朗読の歴史しかない。そして詩人達は朗読を聴きたがらない。これでは詩の朗読が前進しないのはあたりまえだ。一月八日は「草の根の文化の会」の人たちが主催してくれる。詩人たちでない世界で詩を語らしてもらえることは本当にありがたい。本当に詩の朗読の素晴らしさが少しでも世の中に伝わっていけたら人明かりの世界が生まれてくる。
詩語りは、詩を通してしか世の中に伝わらない世界を求めていくだけだ。そこにはやはりひととしての生き方が問われてくる。そしてどのようにしていのちと関わって生きているのかを明確にしていかなければならない。聲はその証としてある。
東京の画廊で行なわれている『詩人の聲』に参加している詩人たちはどれだけ聲と向き合っている詩人がいるのだろうか。回数が多ければよいというものではない。あくまで真剣に聲とむきあっている詩人を発掘することだと思う。その上で回数が増えていけば詩人達の聲が変わってくるだろう。私はこの企画から外されているから何も言う必要もないのだがない。しかし私の知り合いの詩人がまだ関わっているから気になる。確かに一時間に亘って自作詩が朗読できる場所は世界でここでしか存在しない。そのありがたさを詩人一人ひとりが自覚していければ、きっとこの中から本物の詩人の聲の持ち主が生まれてくるかもしれない。詩集『未来への旅』の語りがここでできたことは深く感謝をしている。そしていま別な世界で詩語りが行なえることは本当にありがたい。企画されてくださる方に感謝をする。お客様のためにただ精進していくしかない。

2009年11月 3日 (火)

田川紀久雄日記

山本萠さんから原稿をいただいて一月八日のイベントのチラシを作成する。いほんとうの幸いを求めて」というタイトルだ。幸いとは、自分のために生きることではなく、人明かりを求めることが一番の幸いへの道ではなかろうか。主催は「草の根文化の会」である。場所は市川の八幡市民談話室のギャラリーである。
今朝は星が美しく見えた。昨夜は木枯しが吹き荒れていた。そのせいか空には雲も消えて星が空全体を覆っていた。星マニアの人たちが朝早く起きて見る気持がわかる。
国の勲章を貰いたがる気持が私には理解できない。ここには天皇を担ぎ出して行なわれる国家のあほらしさを感じるだけだ。詩人の中にも貰いたがる人がいるらしい。詩人は権力とはまったく無関係な世界でありたい。詩人にとって大切なことは一人でいることだ。そして孤独の中で物事を考えていく生き方ができればそれでよい。
いま日本の未来が不安に感じる。明確なビジョンが見えてこないからだ。国会の論争でも相手の手足を引っ張り合っているだけだ。今朝の朝日新聞では、政権交代ある政治を望むが66パーセントである。国民が政治家を作り上げていく時代になっていくことが必要である。信念をもった政治家が一人でも多く出ることを期待したいものだ。
でも本当の幸せは政治では解決しないことも事実なのである。詩人は詩を通じて人明かりを目指して生きることが大切なことである。

山本陽子第2巻在庫があります。
川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F 漉林書房

2009年11月 2日 (月)

田川紀久雄日記

芸を磨く人間にとって一日一日がいかに大切かということだ。一日そのものは同じ繰り返しのように見えても、一日そのものは前の一日の積み重ねた豊かなものになっている。停滞しているよう見えても一日そのものは尊い一日であったはずだ。このところ語りの稽古をしていてそのことを強く感じる。語りにカドがとれてきたようになった。カドがとれたということは聲に厚みが出てきたということなのかもしれない。
『未来への旅』の版下の作業を行なう。今年中には出来上がるようにしたい。嬉しい気持が湧き上がってくる。よくもここまでいのちがもったものだと思う。これからが本当の闘いが始まるのだ。この三部作を読み込んで語りきれるところまで精進をしていかなければならない。そして多くの場でライブが出来ることをひたすら願うしかない。
今月の操車場は少し送れそうだ。五日と六日に五浦に行く予定があるからだ。坂井のぶこさんが昨年から行きたいと思っていたからだ。「有明戦記」の続編を書くために行ってみたいという。思い切って行かないと本当に行けなくなってしまうからだ。そして多くの思い出を作ってゆきたい。鈍行でいくのも旅の楽しさかもしれない。

2009年11月 1日 (日)

田川紀久雄日記

来年の一月八日にライブがある。そこで山本萠さんと『いのちについての』対談が行なわれる。とても楽しみな時間になりそうだ。できれはこれからいろんな人との対談を行なってゆきたいものだ。その延長で詩語りを行なえれば聴き手にも楽しい時間になるだろう。
いのちについて語れる人と探してゆきたい。詩人達は、思っているよりいのちについて鈍感な人が多い。詩集を上梓したら、賞を目当てにしている。なさけない話だ。もう私の作品は詩ではないかもしれない。語りを通じていのちを語っているだけかもしれない。
いのちというものは決して抽象的なものではない。あくまで具体的なものなのだ。それをどう興味深く語っていけるようになってゆきたい。末期癌はとてもよい経験である。人はとても大変でしょうというが、私はそれなりに楽しい経験を積み重ねて生きている。不安との闘い以上のものを癌から得ている。それは生き抜くという心の履歴を作り上げている。それを可能にしているのは人明かりの人生を目指しているからだと思う。
癌の検診をうけていない人が40パーセントもいるという。早期発見にどれほどの効果があるのだろうか。それに疑問を投げかける医師もいる。私もいまあmで一度も癌の検診をしてこなかった。胃の激しい痛みを感じて病院にいったら、直ぐ入院だといわれた。それも末期癌でも対抗のレベルに達していると。それでも私は来年で三年にもなる。詩語りをおこないながら元気に生きていられる。医師も不思議がっている。まさにいのちの不思議さを経験している。私の癌との付き合い方や、生き方をこれから語っていくことも意味のあるものになると思っている。ライブの日程があることが生きる勇気を与えてくれているのだと思う。できれば多くの方が私達のライブを企画していただけることを切に願う。

2009年10月31日 (土)

田川紀久雄日記

国会を見ていると、抽象論でほとんど具体的な攻めがない。政治家達は勉強がたりない。本当に日本の未来を考えているとは思えない。いままでがいかに自民党の政策がデタラメであったことか。自民党がむかしの体制とすこすも変わっていない。まだ危機感が感じられない。議員の顔をみていると薄笑いをしている議員が多い。
私は末期癌でも自然に治るものだと思っている。それには治る人治らない人との違いは紙一枚の厚さしかない。紙一枚の厚さの生き方がいかに大変かということだ。つまり自分の生き方がその人の運命を決める。どのような気持でいきているのかを見れば、このひとは癌に負けないで生きられるか解る。これは言葉ではうまく言えないが、人の生き方をみれば解ることなのだ。紙一重でその人の運命が変わる。その闘いの記録が私の詩集『未来への旅』に描かれている。癌は出来ることなら手術をしないことが大切なのだ。そのひとの生き方では自然に退縮してゆくものである。
杉並区の朗読教室は参加者が多くて授業に受けられない人がいるという。昨日坂井さんのお母さんと話していてその話題になった。不思議な話を聞いている気になった。確かに友達と一緒になって行なうことは楽しみの一つに繋がる。そして身体的にも聲を出すことは良いことだ。それに対して詩人達の朗読は・・・と思ってしまう。

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